アルコール依存症のダンナを支えなきゃいけないの?

~ アルコール依存症のダンナとACの私。一喜一憂、はけ口と心の記録を綴ります。 

お酒を飲んでるときでも、どうも言葉は通じてるときがあるみたいよ。

ダンナが仕事がイヤになってきたらしく、またネガティブなことをずっと言うので、

「○○○(ダンナの名前)はわたしが守るんだから!」

と言ったら、ダンナはそこから少し穏やかになった。

ああ。響いたんだなと実感した。

そして、以前のことを思い出した。

 

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自助会で仲間に言われたことでハっとした言葉がある。

 

「お酒を飲んでるときでも、どうも言葉は通じてるときがあるみたいよ」

 

私はダンナが泥酔しているときは別の生き物と思うことにし、蔑み、人間じゃなく悪魔にのっとられた物体と嫌悪していた。

「いまのあなたに何も言うことはない。通じないしどうせ忘れているのだから」

と何度も泥酔しているダンナにたいして言った。

なのに通じてるなんて・・・考えてもみなかった。

それを言われてから、なんとなく彼が泥酔していているときの自分の態度を改めた。

本当は大っ嫌いで憎くて自分の邪魔なもの、死んで欲しいとさえ思わせる、泥酔状態のダンナ。

口をひらけば批判的なことや被害妄想、自己憐憫、要領をえないなんかを吐き出してくる。

私は心の中では憎みつつ、でも表面上ではそれを一切あらわさないよう努力した。

心の中では何度も罵倒する。やっぱり聖人君子にはなれなくて、心の底からは無理だった。

毎回はできない。でもこれはトレーニングなのだと自分に言い聞かせた。表面上ではつとめて彼の言うことを受入れ、同意し、賛同したりもした。

そうしてると、私の発する言葉でたまに本当の彼に届いてるのがわかってきた。怒っていた彼が穏やかな表情になり、すぅーっと眠りだしたりした。

 

へー、こういうことを言えばよかったのか。こう言って欲しかったんだ。

 

届く届かないいろんな言葉を、毎日実験するような気持ちで泥酔しているダンナと話した。

そこに注力してると泥酔しているダンナに対して腹が立たなくなったりもした。

それがうまくできた日は、本当に、本当に、今日はしあわせな日だなあと思った。

 

そうだ。わたしはそうゆうことを忘れていた。

ダンナの病気で自分はいろんなことを学んだと思う。

本当に苦しくつらい病気だけど、でも、学ばずに今は生きれなかったと思う。

 

ありがとう。導いてくれてありがとう。

感謝と謙虚。

この2つの偉大なる武器を放棄するなよ、自分。